3.事件発生前の自分の能力

私はこれまで、打撲直後はみんなに話したり、相談したりしましたが、病院でも受け入れられないことを経験してからは、このようなことの口外は、神経症扱いされるだけなので一切しませんでした。

また、打撲以前の能力を話すことは、不遜であると共に、空想的な空論としかなり得ないので、一切していません。 

しかし、今回は、医学的理解を頂くため、打撲以前の事柄を記し、情況を記させて頂きます。

 

私は、打撲以前は、いわば特別な秀才として周りの人から扱われてきました。

その事柄を記します。

① 小学校2年生の時、授業で提出した私の「詩」を担任の先生が黒板いっぱいに書かれました。

 

電信柱に雀が三羽

飛んで移ってまた飛んだ

 

一羽の雀はどこ行った

(以下4番まであったのですが忘れました)

② 小学校6年生の時、暗算がとても速かった。足し算を先生がみんなに答え求めて〇+〇は?と聞かれた時、即座に答えを言うことが続くので、私は言わないようにされた。

③ 高校2年時、「木村の社会科答案が全クラス一人満点だ」と他教室で先生が言われた、と聞かされた。

④ 高校2年生の時、「大泉高校新聞」をクラブとして友達と作り、ペンネームをQとして、論説を書いていた。校長との懇談を記事に書いたりした。

編集長として全校集会で壇上に立ち、ニュース趣旨の説明やそれへの協力を求める話をしたこともあった。

 

事故後の高校3年時、廊下を歩いていた時、校長から校長室に呼ばれて「何か心配事があるのか」と聞かれました。それまで校長室で取材し、全校集会で話す者が、ふさいでいるのを、気遣われたと思います。

 

⑤ 高校2年ころ、先に記した慶応大学インターンの従兄弟が来宅時、話し合っていると、「木村家最初の東大生になるだろう」と言われた。

 

⑥ 事件発生前までの自分の能力

抽象的思考力、美的感受性

打撲前は、論理的思考力にすぐれ、高校新聞の論説、哲学書の購読、美的感受性もすぐれていた。それが、失われた。

学問が、あらゆる事象にも当てはめられ、○○学として研究できることに将来の夢を感じた。学究生活に入ると思っていた。

将棋も強かった。7~8手の先まで読み、相手をうならせたことも再々だった。今は、それがないので、将棋には近づかない。

高2当時、神保町の路地売りで買った万年筆が、趣味豊かで、大学生の時褒められ、悔しい思いをした。

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