4.障害発生後の自分史

これらの、自分ではそれが当たり前と思う情況が、頭脳打撲後、一変しました。

打撲で、これだけはよかったと思うことは、弱い人の気持ちが分かるようになったことはあります。

それ以外は痛恨の連続で、異常さがいつも感じられるので、生活から離れることはありません。身体障害者が負う痛み同様です。

 

しかし、その自分が本来の自分として周りから扱われますから、私自身も、それなりに最善を尽くしてきました。

友達も当然、変わっていきました。

 

私立大学経済学部に入り、教職課程をとり、教員免許を取得し、商業科の東京都採用試験に合格し、都立高校教員になりました。

60歳まで、38年間教諭として勤務し、5年の再雇用期間の教員生活を経て、年金生活になりました。

その後、老人会などの社会的な、友誼団体に属し、そこで役員としての世話役も行いました、役職も高齢故に降り、一般会員としての生活を送っています。

家族にも恵まれ、子や孫たちも元気です。周囲の社会的なつながりも円満に過ごさせて貰っています。

 

私の脳打撲障害についての報告の終わりにあたって

私の人生は、この脳打撲、一打によって、完全に変わりました。

私の終生の望みとなった冒頭記した4点は、少しでも実現へ取りかかりが出来るよう、これからも努めて参ります。

また、私の障害の事実の医学的な認識が得られるよう、今後は氏名を明らかにし、顕名で訴えを書かせていただきます

どうか私の頭脳障害への正当な認識が医学的に生まれ、社会的にも認められるよう願い、そのための努力を続けて参ります。

よろしくお願い申し上げます。