1.障害の実態、障害による生活の変化

これからの文の内容は次の順で記します。

 

1.障害の実態、障害による生活の一変

2.障害発生後の診察を受けた医師の診断の記録

3.事件発生前の自分の能力

4.障害発生後の自分史

 

 

 

1.障害の実態、障害による生活の変化

 

事件は1950年5月初旬、在籍高校の教室前廊下で、授業開始前の朝でした。友人と窓辺にもたれかかり、体を窓辺に預けて話し合っていた時、後ろから来た友達に突残、足をすくわれ、私は窓の棧に左後頭部を強く打ちながら倒れました。すぐに立ち上がり、単なるいたずらと友達も笑っていましたが、事変はその時以来発生したのです。

私の後頭部内の感覚の喪失(つむじの内側)は、その時、発生し、今日まで休む時もなく続いております。

事件の当日とそれから、2,3日、すぐ近くのあんま治療士にマッサージを受けましたが効果はありませんでした。

私は、後述の通り、それ以後、多くの医師に何回も診察をお願いしました。そこでの回答は、いつも、思い過ごしであるとされ、脳医学的にあり得ないとか憂鬱症的なもの、と言われたこともあります。

 

事態は次の通りです。

 

① 頭頂部内側の知覚が全くない

頭頂部(つむじ)の内側に感覚が全くない。

打撲前は、ここに知覚が集中し、物を考えると引き締まり、口の奥がギュッと引き締まった。だから、歯の奥が堅く結ばれ、口元も締まらない。

今は、物を考え、本を読んでも、額のみに知覚があり、口元も前歯の方で引き締まるが、奥歯は全く締まらない。(以前は考える時。奥歯も締まり口元もそれに伴って固く締まった。今は、前歯と口元だけが締まる)。

そのため、読書を長時間続けると、額の内側が疲れ、やがて痛くなり、長時間継続は苦しくなる。

抽象的な思考、論理的な思考も、この打撲以来、薄らいだ。

美しいものや、情況への感動も、それ以来変わり、乏しくなった。

 

 

② 瞳に力を失った

瞳の輝き、眼力がなくなりました。瞳は脳の頭頂部と結びついていると思います。頭頂部の神経の機能が失われたために、瞳もまた、神経の働きを失ったと思います。

脳打撲以前、私は眼差しが強い方だったと思います。子どもの頃から、目が大きい、と言われました。それが変わりました。「瞳のように大事にする」「目から心へ届く」「目配り」「目で合図する」などは、自分にはできないことになっています。

 

③ にらめっこ、などは自分にはできません。瞳と脳の頂頭部とは結びついていると思います。

④ 人から見つめられたり、睨まれても、こちらで見返したり、睨み返すことができません。そこで、下を向いたりすることになります。

⑤ 私は、人と目で会話ができない、人と目で合図できない、「目は口ほどに物を言い」の機能がない、という点で、障害を持つ者と思っています。

⑥ 人に会ってもその人と認知せずに過ごすことが多い、人の気配を感じられない。そのため旧知の人に出会っても認知できず、知らずに失礼して過ごすことが多くある。

 

次は 2.障害発生後の診察を受けた医師の診断の記録